十七条憲法と聖徳太子の思想
馬小屋で生まれたと言えば、外国人の多くはイエス・キリストを想起するだろう。しかし日本では、もう一人、その名も「厩戸皇子(うまやどのおうじ)」を思い出す人も多いはずだ(注1)。
野村修也
2026.05.12
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用明天皇(敏達天皇の異母弟であった大兄皇子。在位585-587)の第2皇子で、推古天皇の下で蘇我馬子ともに中央集権国家を目指したとされるこの人物は、言わずと知れた聖徳太子(注2)である。最近は教科書の記述との関係で、聖徳太子の実在性に関する議論も盛んであるが、差し当たり、この点には深入りしないでおこう。
聖徳太子と言えば、遣隋使を派遣するなどして中国の文化・制度を採り入れたことで知られるが、何と言ってもその最大の功績は、日本初の位階である冠位十二階の創設とそれを規律付ける十七条憲法の制定(注3)と言えよう。
周知の通り、日本の律令制度が本格的に整ったのは刑部親王や藤原不比等らの手によって大宝律令が制定された701(大宝元)年のことで、それ以前は、現在の刑法典に当たる「律」の部分を欠いた「令」のみであって、内容的には行政法的色彩の強いものだった。十七条憲法もその例外ではなく、いわば役人の心構えをまとめたものにすぎなかった。